隣の芝は青い『佐藤智恵/ハーバードでいちばん人気の国・日本』
いつも使うコンビニで目についた本。思わずそのまま購入。
久しぶりに新書を読んだ気がします。
要約
ハーバード大学で経営を学ぶときケーススタディーの教材に日本の事例がいくつか使われている。そこでハーバード大学の学生は「日本の強み」について学ぶ。
読んでいて思ったこと
日本にいると当たり前に思うことが海外から見ると驚きになるのだと思った。私自身は、海外に行ったことがない(本書では日本人の欠点ほ保守的であるといっていた)ので、ほかの国のモラルや信条について肌で感じることが少ない。そのため、日本の諸所のことが当たり前と思っていたので、驚いたことに驚いた。
例えば、個人の利益と公益についてである。
日本人は公益を大事にしている企業や個人が多い。公益とは平たく言うと世のため人のためということである。海外にはこの視点が欠けているということか。確かに某国を見ていると経済的に発展をするため、公益を大きく損失している場合がある。しかし、それは日本もかつては同じであったので一種の成熟具合のなのかと思っている。加えて、今はどことなく個人主義の流れがあるのかとも感じる。日本はまで公益を大事にしていると思えるのだろうか。
一つのことを取り上げて書くと少し反発した気持ちになってしまうが、日本の魅力について認識できるいい本だった。
読み終わって
最近(2016/7)では参議院の選挙があり、政治やら経済について記事を読んでいても、そこでも日本が注目される存在であることがわかる。とりわけ少子高齢化社会の対策が注目されていると感じた。
日本の良さも再認識することも大切だが、日本と海外での違いを知るいい機会でもあった。機会費用ではないが、日本人が日本人らしい物を身につけることで、海外の人の良い考えや良い習慣を得る機会を損失していると思う。それが「考える力」であったり「意見を述べる力」であったり、「プレゼンテーション力」であったり。いいところを維持しつつ海外の良さというものを肌で感じ学んでいきたい。
理屈と感情『人魚の眠る家/東野圭吾』
人から借りた本で、返したついでに何かを話したいと思った一冊。
東野さんは延命治療や脳死に対して社会に響かせたいことがあったのかもしれまん。
要約
娘(瑞穂)が事故により突然の意識不明になり、悲しみに暮れる母(薫子)と父(和昌)。最新の医療科学技術を使って娘を生かす。しかし、「生きている」の定義をめぐり周囲との間にズレが生じ始める。
あとは本書を読んでください。
読んで思ったこと
脳死や臓器移植について考えないととかとたまに思いますが、考えるのが怖くて考えてないですね。本を読みながら、自分以外の死について考えてたら泣きそうになりました。自分が死ぬことについては考えることができるのですが、大切な人というと想像ができませんね。漠然ととても悲しいの一言です。
読んでいて、主人公の薫子視点でものが語られることが少ないかと思いました。夫の和昌よりの視点や語り部の視点は印象が強いですが、あまり薫子の視点は印象が薄いからですかね。読み手として薫子の心情や考えは推測することが多く、それゆえに、自分が薫子の立場だったらどうするかを場面場面で考えてしまいました。「生きている」ということを体の恒常性でとらえるのか、意志でとらえるのか。おそらく、その時の感覚で選ぶのでしょうね。もし、理屈で選んだとしたら、その答えに納得ができるのかわかりません。
読み終わって
読み終わって書名あらためて見るとタイトルが『人魚が眠る家』なんですね。実際にこの作品を読むまで、普通なら『家で眠る人魚』という具合に最後が人に準ずるものだと思ったのですが、『家』が主体です。なんででしょうね。自分なりに考えて、作品を味わいたいと思います。
考えること「出口治明/人生を面白くする本物の教養」
本屋で目がとまったため購入。
以前、出口さんが書いた世界史の本が面白かったので今回も面白いと思って購入。今回の記事は思ったことをつれづれなるままに書きます。
自分に足りないもの
この本を読んでいて、自分にまだ足りないと感じるものが二つありました。自分の頭で考えることと常識を疑うことです。私はよく頭で考えず、他人の知識を借りて生きている気がします。他人の考えを特に検証もせず合っていると思い、聞いたことをまるで自分の意見のようにつかう。
頭が足りないと感じます。
自分の頭で考えること
私の好きな論語の言葉で「学びて思わざるはすなわちくらし、思いて学ばざるはすなわちあやし」があります。学ぶことと考えることのバランスが大切という教えです。この言葉に出会ったとき、自分は学ぶ一方で、考えてないと思いました。今もまだ変わらずできてないと思っています。また、この時から「考える」とはどういうことかと考えています。
今同時並行で「まんがでわかる7つの習慣」を読んでいます。そこで
自分の価値判断で行動できる人は信用できる
という一コマがあり、今の私なりに考えるということがどのようなことか少しわかりました。それは「判断する」ことだと思います。AとBの二つのうちどちらかを選ぶとき、たぶん、少し昔の私はネットで調べて適当に星が多くついているものを選んだかもしれませんが、今は自分で考えて、少し理屈を交えて、意見を述べられるような気がします。
常識を疑うこと
先ほどの星の数の話ではないですが、多くの人がいいと思うものが必ずいいとは限りません。
「常識」というのは多くの人が作ったものの枠組みです。しかし、「識」という字が入っていますが、私が疑うべき常識は「パターン化された思考」という気がします。物や自然の原理ではなく、人の行動といったものに「なぜ」を組み込んで行きたい。
うまくまとまりませんが、ちょっとした決意をもって登っていきたい。
経済のニュースを知るために(中村和之/経済のニューズが面白いほどすっきりわかる本)
ゼロ金利からマイナス金利に変わりましたね。そんな社会の話もありますが、私は以前からGDPがなぜ経済の成長を表すのかが謎だったので、今回は経済の本を読みました。
今回読んだのはこれ
実はこれを読む前に本屋でよく見る『大学4年間の経済学が10時間でざっと学べる』を読んだのですが、しっかり理解できていなかったので、それより敷居が低いものを読みました。本当なら、『10時間でざっと学べる』を理解しながらゆっくり読むほうが力になるのかもしれません。この本のレビューはまた後日。
要約
8つテーマに分けて経済学の意義や経済の仕組みについて述べている。マクロ経済やミクロ経済といった単元の話ではなく、「日本は本当に豊かなの?」や「日銀は何をやっているの?」といった普段新聞を読んでいて疑問に思うことがテーマになっている。
読んでいて思ったこと
本というもの全般に言えることですが、なにかしら対立する意見があるときどちらかに傾倒して話を進めるが、この本は中庸を取る本という印象がとても強いです。例えば日本の財政の話では財政再建を急ぐべき派と急がないでいい派のそれぞれの主張を列挙していたりと中立の立場で説明しています。これは経済学を知れない人(私を含めて)が経済について考えるきっかけを与えているという印象ですね。
そして肝心な私の疑問。GDPはなぜ経済の指標となりうるのかということです。
(でも)国全体で経済が活性化するならば、その取り分も同様に増加する。その増加分が誰のものになるかは一概には言えないけど、多くなったパイ(GDP)が誰かの手にわたることは 間違いない。
付加価値の合計が増えれば、同じ人口の場合1人当たりのパイが増えるねということかと勝手に納得。GDPの2パーセントの上昇が1人あたりにどれくらい還元されるのでしょうね。それは日本の景気が豊かになったと実感する人、しない人がいるわけですね。
読み終わって思うこと
この本一冊でなんとなくだけど新聞でいっていることがわかるようになりました(気がする)。これで新聞を読むのが苦ではなくなります。
私の勉強法、あなたの勉強法「ベネディクト・ケリー/脳が認める勉強法」
どたばたな日々が終わって久しぶりにブログ更新。
今回は脳科学の本。脳科学の本も好きです。共感性と記憶はとりわけ好きですね。今回は記憶の話。どのような勉強法が記憶によく定着するか。
要約
本書は勉強の常識を覆す実験データをまとめたものです。
本を読んで思うこと
では、勉強の常識とは?
私が勉強をしていた時、朝〇時におきて図書館に行って勉強するというのが日課でした。みなさんどうですか?多くの方が私と同じはず。
常識を覆したものは?
本書 第3章 環境に変化を付ける 勉強の場所を変えたほうが思い出しやすくなる
からの抜粋です。
学生を集めて4文字からなる40の単語を見せた。グループAの学生には10分の学習時間を数時間あけて2回与え、その半数は地下にある雑然とした小さな部屋で、残りの半数は窓から庭が見えるきれいな会議室で覚えさせた。グループBの学生にも同じ時間と同じ回数を与えたが、1回目は窓のない小さな地下の部屋、2回目は庭の見える窓がある部屋だった。
それで2回目の学習後から3時間後、覚えている単語を書きださせた。
2回とも同じ部屋で勉強したグループは、40個のうち平均16個思い出した。勉強する部屋が変わった学生は平均24個思い出した。
部屋を変えた方が記憶に定着するという結果。
調査対象人数が分からないので実験内容について是非は問いませんが(たぶん学術雑誌だと思うので大丈夫だと思いますが)、おもしろい結果ですね。長期的にしたらどうなるのでしょうね。学習場所をどんどん変えてやっていくともっと覚えるようになるのでしょう。
本を読んでから
あまり勉強をしていませんが、この方法なら覚えやすいと思って覚えると頭に入ります。だいたいは電車で勉強で本を読んでいますが、ファミレスとかで勉強します。確かに、そこにいたときの記憶と一緒に勉強したことを覚えています。この方法だと一時間くらいで場所を移すといいのですかね。
あと、本書で出てくる「ひらめき」についても面白かったので、別のときに紹介します。
あ、伝わっていない「藤沢晃治/「分かりやすい表現」の技術」
最近文章を書くことが多くなったのですが、読みづらいor言っていることがわからないとこっそり思われているのではないかと思って、手にとった本です。
表紙の絵がすこし珍妙だと思うのは私だけでしょうか。
「分かりやすい表現」の技術―意図を正しく伝えるための16のルール (ブルーバックス)
- 作者: 藤沢晃治
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1999/03/19
- メディア: 新書
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要約
取扱説明書、広告、講演、プレゼンテーション等それぞれで分かりやすくするための手法が存在する。本書はそれらの業界の壁を越えて普遍的かつ共通の「わかりやすい表現」をまとめた。
思ったこと
気にいったのはルール4とルール5ですね。
ルール4(大前提の説明を忘れるな)
ルール4から
あることに 精通していく過程で、知識量は、増加していく部分だけではなく減少していく部分もあります。パソコンでいえば、習熟の過程で増加していくのはパソコンの知識であり、減少していく、つまり、失われていくのは初心者の発想なのです。
話を聞いていて、聞きなれない専門用語らしきものがでると「〇〇とは?」と聞いたら、そんなことも知らないのといわれる時があります。特に私なんか芸能関係は弱いので、よく言われます。専門用語ではないですがわかりません。
上記は日常会話なのでいいかもしれませんが、説明する場面ではやってはいけない。なにが相手にとって既知であるか、考える必要があります。説明をするということは相手と自分の間に情報量の差があるということです。私は、その間を埋めいくには、段階をおって説明することが望ましいと思いますし、段階的説明の最初のステップは必要だと思います。
そんなことを思いながらも、これが私は足りないのではないかと思っています。
ルール5(まずは全体図を与え、その後、適宜、現在地を確認せよ)
本文から
テーマパークの入り口かでは、たいてい、テーマパーク全体の地図を渡してくれます。全体の概観をあらかじめ入場者に教え、迷わせないためです。その概観地図によって、入場者は常に「全体図」と自分の「現在地」を把握し続けることができ、迷わないのです。逆に言えば、この二つのいずれか一方を失えば、迷った状態になるわけです。
良い例えですね。これは話をするときより、本を読んでいるときに感じることですね。読んでいてわからなくなったとき、目次をみて、この話の部分なのねって思えます。
カーナビ以前の道案内の時は、地図を見ていて自分が今どこにいるかがさっぱりわかならないときがありましたが、自分の場所がGPSでわかるようになってからほとんど迷いません。
全体図も現在地も大事ですね。
読み終わってから
とりあえず、このブログに見出しをつけました(だれも読んでいないですが)。あと仕事で文章書くとき注釈をつけるようになりました。読みやすくなったのか気になるところですね。
昔のよいもの「山崎憲/働くことを問い直す」
久しぶりに岩波新書を読みました。図書館で気になったので手にとってみました。
要約
ざっと内容をまとめると(まとまっていないかもしれませんが)
現代の社会では正社員であるかどうかで、生活や収入にとても大きな違いがある。昔は労働組合が力があった。それも労働組合員以外の人に、ひいては社会に対して影響力があった。そのため、多くの人が守られていた。しかし、徐々に労働組合の力がなくなり始めた。それは第二次産業の従者の減少であったり、非正規職員の増加であったり、社会変化による企業の利益低迷が原因である。では、どうするか。「従来型の労働組合と使用者の関係」と「労働と生活の接合点」に可能性がある。前者は以前の労働組合のように、労働組合の経営への積極的参加である。後者はコミュニティーオーガナイジングを模範とした社会の様々な人が参加して利害調整を図ることである。
と言う感じです。
思うこと
個人的な話ですが、働きすぎて体調をくずした友人がいて、そのことがとても悲しかったことがあります。それがきっかけで労働問題とうつ病について調べるようになりました。今回はその延長です。
本書ではアメリカの働き方と日本の働き方の対比が書かれています。
アメリカやヨーロッパでは、働く側の裁量を極限まで落としたフォード生産方式が一般的だった。それでは「なんのために働くのか」とか「どのように生きるのか」という根源的な問いに近づくことはできない。なにより、働いているという実感を持つことができない。
それに対して、潜在能力を重視することや、従業員同士、部門間で連携を高めるという日本企業の働かせ方こそ、アメリカやヨーロッパが切り捨ててきた働く実感を取り戻すことができるものだと考えられたのである。
日本の働き方しか経験がないので、外国式の働き方をすると働いているという実感をもつことができないのかわかりませんが、今の日本の働き方を見ているとどうしても海外の方がいいのかと思ってしまう。隣の芝は青いのでしょうか。確かに組織力というか連携感というものは強い気がしますが、今現在それが重しになっていると思う。連携があるからといって、守られていないのではないかとも思う。
本を読んで変わったこと
働くことが豊かな人生をつくりかどうか、私は正直まだわからない。しかし、月並みのことではあるが、日本型の働き方はその主体性が発揮できる余地が多いところであり、それを通して自分の人生が豊かになるのかと思った。
しばらくそのことを考えながら仕事に臨みたい。