昔のよいもの「山崎憲/働くことを問い直す」
久しぶりに岩波新書を読みました。図書館で気になったので手にとってみました。
要約
ざっと内容をまとめると(まとまっていないかもしれませんが)
現代の社会では正社員であるかどうかで、生活や収入にとても大きな違いがある。昔は労働組合が力があった。それも労働組合員以外の人に、ひいては社会に対して影響力があった。そのため、多くの人が守られていた。しかし、徐々に労働組合の力がなくなり始めた。それは第二次産業の従者の減少であったり、非正規職員の増加であったり、社会変化による企業の利益低迷が原因である。では、どうするか。「従来型の労働組合と使用者の関係」と「労働と生活の接合点」に可能性がある。前者は以前の労働組合のように、労働組合の経営への積極的参加である。後者はコミュニティーオーガナイジングを模範とした社会の様々な人が参加して利害調整を図ることである。
と言う感じです。
思うこと
個人的な話ですが、働きすぎて体調をくずした友人がいて、そのことがとても悲しかったことがあります。それがきっかけで労働問題とうつ病について調べるようになりました。今回はその延長です。
本書ではアメリカの働き方と日本の働き方の対比が書かれています。
アメリカやヨーロッパでは、働く側の裁量を極限まで落としたフォード生産方式が一般的だった。それでは「なんのために働くのか」とか「どのように生きるのか」という根源的な問いに近づくことはできない。なにより、働いているという実感を持つことができない。
それに対して、潜在能力を重視することや、従業員同士、部門間で連携を高めるという日本企業の働かせ方こそ、アメリカやヨーロッパが切り捨ててきた働く実感を取り戻すことができるものだと考えられたのである。
日本の働き方しか経験がないので、外国式の働き方をすると働いているという実感をもつことができないのかわかりませんが、今の日本の働き方を見ているとどうしても海外の方がいいのかと思ってしまう。隣の芝は青いのでしょうか。確かに組織力というか連携感というものは強い気がしますが、今現在それが重しになっていると思う。連携があるからといって、守られていないのではないかとも思う。
本を読んで変わったこと
働くことが豊かな人生をつくりかどうか、私は正直まだわからない。しかし、月並みのことではあるが、日本型の働き方はその主体性が発揮できる余地が多いところであり、それを通して自分の人生が豊かになるのかと思った。
しばらくそのことを考えながら仕事に臨みたい。