理屈と感情『人魚の眠る家/東野圭吾』
人から借りた本で、返したついでに何かを話したいと思った一冊。
東野さんは延命治療や脳死に対して社会に響かせたいことがあったのかもしれまん。
要約
娘(瑞穂)が事故により突然の意識不明になり、悲しみに暮れる母(薫子)と父(和昌)。最新の医療科学技術を使って娘を生かす。しかし、「生きている」の定義をめぐり周囲との間にズレが生じ始める。
あとは本書を読んでください。
読んで思ったこと
脳死や臓器移植について考えないととかとたまに思いますが、考えるのが怖くて考えてないですね。本を読みながら、自分以外の死について考えてたら泣きそうになりました。自分が死ぬことについては考えることができるのですが、大切な人というと想像ができませんね。漠然ととても悲しいの一言です。
読んでいて、主人公の薫子視点でものが語られることが少ないかと思いました。夫の和昌よりの視点や語り部の視点は印象が強いですが、あまり薫子の視点は印象が薄いからですかね。読み手として薫子の心情や考えは推測することが多く、それゆえに、自分が薫子の立場だったらどうするかを場面場面で考えてしまいました。「生きている」ということを体の恒常性でとらえるのか、意志でとらえるのか。おそらく、その時の感覚で選ぶのでしょうね。もし、理屈で選んだとしたら、その答えに納得ができるのかわかりません。
読み終わって
読み終わって書名あらためて見るとタイトルが『人魚が眠る家』なんですね。実際にこの作品を読むまで、普通なら『家で眠る人魚』という具合に最後が人に準ずるものだと思ったのですが、『家』が主体です。なんででしょうね。自分なりに考えて、作品を味わいたいと思います。